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独り言シリーズ 「新しいローカル文化」 5

5.「常に在る・不在」

スピルバーグの映画「太陽の帝国」は、地上に新たな「太陽の帝国」が誕生したこと。そして「ヒロシマ以降」の人間の条件について問いかけている。
以前このことについて、映像作家である私の友人に話したことがある。友人も納得し、最近講演会などで、スピルバーグこそ「ヒロシマ以降」に最も意識的な映画監督であるという説を披露するのだが決まって無視されている。「それスティーブン岡崎と間違っていない?」と言われたりするそうだが、つい最近その友人からメールが入り、インディ・ジョーンズの新作「クリスタル・スカルの王国」を観て、「この説を確信したよ。」と言ってきた。私はまだその映画を観ていないので何とも言えないが、この時期なにか意味深な気もするし、みなさん観てください!

さて生は、永劫への追及であり、停止への拒絶であろう。そして生は“光”に囚われている。生は“光の帝国”に囚われながら、自身の生成を繰り返す。
そして1945年8月6日、あの“突然の朝”、あれ以来、人類は「死(死神)」の太陽と「生」の太陽、二つの“光”に引き裂かれたこの惑星で、8時15分で停った時計のように、夢のように凍った時の風景とともにあの朝を生きている。原爆の閃光で石に焼き付けられた人影のように「常に在る・不在」の朝…「終着の朝」で無数の物語が加速する。 

「常に在る・不在」…何でここでこのようなデスパレート(desperate)な言葉が?
この言葉は、たぶん単純に、普段いつも「ある」のに、実際には「ない」…あるいは「あってはいけない」コトやモノのことを言っている。分かりやすくするために、たとえば写真をイメージしよう。ここに古ぼけた写真がある、50年前の広島の街角で遊んでいる子どもの写真、たとえば私の子どもの時の写真だ。その子どもという存在事実は、写真というモノの中に、永遠に(もっとも写真だから劣化するが)固定されているように見える。でも実際は、その子どもは、「もういない」…その子どもはまさにその夢のように凍った時を生きているのだ。(続く)(石丸良道)

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