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独り言シリーズ 「新しいローカル文化」 4

4.「第二の太陽」

映画「太陽の帝国」の中では、「ヒロシマ・ナガサキ」について一言も触れられておらず、ただ映画のラスト近く描かれた、強烈に炸裂する光のビジョンがゆえに、この映画の隠れテーマが「核の光」あるいは「ヒロシマ以降」であろうと勝手に思ってはいたが、Dream Worksからのこのメッセージにより、はっきりと証明された。
「太陽の帝国」とは、先ず「日出ずる処」としての大日本帝国を指しているのだろう。
日本の中国大陸侵略にまつわるエピソードの中、「収容所」が存在し、この映画の場合、そこに捕らわれるのは、(中国の人々でなく)米・欧州列強の人々である。
そこで「西洋近代」は、その周縁における一変種としての、当時の「大日本帝国」つまり「太陽の帝国」の姿を通して対象化(主人公の少年は、カッコいい「ゼロ戦」に憧れている。)され、そこに自らがもたらした「疎外」を見るという構図である。
アメリカ新大陸発見を契機として、またスペインのコンキスタドールが「インティ(Inti)」と呼ばれるインカの人々の祭る「太陽神」を征服して以来、自我に目覚めた「西洋」は、数百年の後、今度は世界の東のハテ、「日出ずる処」に、己の不吉な姿を重ね見たのだ。それはあの「光」だ。「地を覆う光、もうひとつの太陽」つまり「第二の太陽」である。その瞬間、主人公の少年は、世界を覆うもうひとつの新しい「太陽の帝国」の誕生を知るのである。

それにしても核の炸裂というテーマを、「ヒロシマ・ナガサキ」やアメリカを舞台として描くのでなく、大陸中国に設定するというスピルバーグのアプローチ、その地政学的センスは絶妙と言っていい程である。
近代の諸帝国が作りだした「収奪の旧大陸」としての中国をフレームに、「帝国」が浮き彫りにされ、「近代」があぶり出されるのだ。
中国領土内に存在した列強の疎開のように、映画で描かれる「収容所」は、広大な沃野の中、健康な組織体を蝕むガン細胞のように周囲とは隔絶された世界であり、その中で、捕囚者(米・欧州列強)は、収容所の主(日本)と、ある種共犯意識のもと異常な日常を共有する…「帝国」は何も日本だけではなかったはずだ。
これは、後で触れる「ヒロシマ」を巡る「加害」と「被害」の問題に深く連鎖していく構図であろう。(続く…) 

(石丸良道)

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